2009年2月6日金曜日

おじいちゃんとおばあちゃん

ちょっとプライベートすぎる話ですが明日はおじいちゃんの一周忌、おばあちゃんの三回忌なのです。

おばあちゃんが死んじゃってほぼ丸一年後に死んじゃったおじいちゃん。それからまた一年が経ちました。幸運にもこの歳まで人の死に立ち会った事がなく、お葬式に出たのも初めてでした(父は物心つく前に離婚して亡くなっているので父方の親族とは縁がないのもあって)。私にとっては母は姉で祖父母が両親のような感覚でしたので、88歳のおばあちゃん、92歳のおじいちゃんが死ぬのは自然なことだとわかっていても、気がつくと泣けてきてしまう日々が続きました。単純に寂しかったんですね。
おじいちゃんは新聞記者で若い頃はとてもハンサムだったので、初めて新聞記者を主人公にしたドラマがNHKで作られた時のモデルになったのだそうです。私が子供の頃はまだ仕事をしていて原稿用紙にいつも何やら書いていました。私がこうやって何かを書いたり、人がうんざりするくらいに、好きなものや気になった事についてしゃべり続けたり伝えたい共有したいって思うのはおじいちゃんから受け継いだものなのかもしれません。頑固で鼻っ柱が強いのもおじいちゃんに似てるって思う。おばあちゃんからは仏教的な穏やかな物の考え方と、掃除したりお料理したり、キチンと暮らす大切さを叩き込まれたので、私なんとかまともな大人になれました。おかげで夜遅くの仕事なのに部屋もきれいだしお肌もつるつるだよ。
あーなんかすぐ感傷的になって忘れちゃうけど、なんでこの事書こうと思ったか思い出した。私がお料理もっとがんばって、いろいろやってた仕事もコレにしぼってみようかなって思ったキッカケはおばあちゃんが寝たり起きたりになってご飯が作れなくなったときなんです。ご飯を作りに行くととても喜んでくれた。私がいくら最近読んだ立派な本に書いてある話をしたって、見た映画から思ったことを話したって何だか空回りだけど、ご飯は喜んでもらえるんだよね。おばあちゃんが亡くなって、おじいちゃんにご飯を作りに行ってたときも、おばあちゃんが作ってたのとまったく同じ味に作れるのは私だけだったから、おじいちゃんはとっても喜んでくれた。ご飯を作るっていいな、誰にでも伝わっていいな、それに私って才能あるんじゃないかななんて調子にのりはじめたんですよね。まあ今じゃお恥ずかしい限りで毎日勉強勉強だけど、まだ全然成果も出てないんだけど、どうか長い目で見守ってください。うちの孫はなかなかやるだろと自慢できるようになるからさ、と明日はお墓でお願いするつもり。

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